また懲りもせずラブライブ映画に関する考察とか書きたくなった
昨日の土曜、地元の劇場に朝一で8回目の視聴してきたけど3年の色紙終わってた(◞‸◟)
代わりに、1年生のコンボセットがまだ残っていた
食べ物を扱ったグッズは保存に困るって理由で基本的には手を出さないように決めてるけど、ポップコーンや飲み物とは別々に未組立の状態で渡してくれるということで、衝動的に買ってしまった
特典的には惨敗だけど、これでチャラということでどうですか(暴論)
そんなわけで、また思ったことをずらずらと書いてく
例によってネタバレ満載だけど、公開から3週間経ってるし特に大きく改行しないでそのまんま書くからね
まずは、Music S.T.A.R.T!!のPVのとある場面を引用しているところがあるな、ということ
例えば、最初の空港で矢澤一家が集合写真撮るところが、この構図とまんまだ
Mスタの凛ちゃん最高にかわいい
ここの凛ちゃんが、こころちゃんに置き換えたのがあの矢澤一家の集合写真
あと、ここはすぐに分かった人多いと思うけど、4人が両手で「LOVE」の字を作るところも、MスタのPVでもあったなあと
映画のほうでは、穂乃果→にこ→凛→真姫の順だったけど、
PVのほうを見ると、花陽→にこ→凛→ことりの順で、OとVのところが担当してるキャラもにこと凛ちゃんで完全一致してるなあって気付いて、フフッてなった
これに関してはそれだけなんだけど、アニメ本編のほうでも過去のシングルのPVの場面を用いた部分が多々あるから、映画でもこういうことやって芸が細かいなあと思った
次に書きたいのが、世界的に人気になったμ'sを今後も続けるのか終わりにするのかというところで、直接的な描写は無いけれど、穂乃果と同様かそれ以上に、にこは葛藤していたのではないかということ
にこはμ'sの誰よりもアイドルに対して強い思い入れがあり、元々アイドルになることが夢で、μ'sを通じてスクールアイドルという活動を全うすることを実現した
ラブライブ本戦では優勝し、海外のライブ中継でAngelic Angelを披露した結果、μ'sは世界的な人気を博することになって、「スターなんですもの~!」なんて言いながら完全に浮かれた状態になっていた
にも関わらず、μ'sの次のライブを待つファンが多くいると判っているなかで、真姫ちゃんの、μ'sは3年生が卒業したら終わりにするはずだという主張に、にこは先導して賛同していた
アイドルでたくさんの人に注目されて笑顔にさせることが夢で、世界的な人気を得てライブを待ち侘びているファンが多くいるという状況で、にこはμ'sは解散する派を真っ先に主張したのだ
にこにとってこの状況はこの上ない都合の良いことで、考え方としては、にこが尊敬していて、卒業後もファンを楽しませるためにプロとして活動を続けていくというA-RISEと同じ若しくは近いはずなのに、9人との約束のほうを取ったのだ
そして、あの場ではμ'sは続けないと言ったあとで、相当な葛藤があったのではないかと考える
屋上で9人が再開した場面で、にこの膝には絆創膏が貼られていたが、夢のアイドルとしてなのか、スクールアイドルとしてなのか、μ'sの一員としてなのか、定かでは無いけれど少なくともアイドル活動をやりたくて仕方なかったという現れではないか
で、SUNNY DAY SONGの前日で穂乃果がスクールアイドルの前でμ'sは明日のライブをもって活動を終了するという告白をしたあと8人は完全に決心付けた表情を浮かべていたが、にこだけは明らかに8人とは違う、落ち込んだような表情をしていた
穂乃果は完全に答えを見つけてみんなに告白をしたこの時点で、にこの中ではμ'sを残したいか終わりにするべきかという迷いがまだ残ってたのではないかと考える
SUNNY DAY SONG当日では、誰よりも早く8人を待つにこがいて、あの時点でもまだ何かの迷いがあって、9人が揃って、照れ隠しに怒って、不満気な顔から笑顔になる、あそこで完全に吹っ切れたんじゃないかな、という駄文
映画のラブライブは穂乃果のことがよく言われているけど、何度も見てみると今回のように妄想の域ではあるけれど穂乃果以外の心情を考えることができるから、もう何度も何度も観に行って色々考えていきたい
深く考えながら観るようなものではないなんてこと言ったけど、あれは完全に嘘でしたすみません何でもはしません
まだ書きたいことがあって、ED挿入歌の「僕たちはひとつの光」のライブはどこでやったものなのか、ということ
最初はドームで最後のライブをやったんだろって何も考えずに想像していたけれど、SUNNY DAY SONGをやったあとにドームでのラブライブ実現が決定付いたと考えても、その3月の間で実際にドームでのライブが行われたというのかなり無理があるものと思われるから年度を跨いでからの開催が現実的ではあるが、年度が変わるということは学年は変わるし、3年生はもう音ノ木坂の学生ではなくなってるからスクールアイドルはできない、ということになる
ということで、劇中では穂乃果たちが宣言した通り、SUNNY DAY SONGでμ'sは本当に活動を終了したし、僕たちはひとつの光はドームで行われたものではないと考えるのが自然
じゃあ、僕たちはひとつの光は何なんだって話になるけど、劇中で終わりにした今度は、劇場版を見ている俺たち視聴者へ向けた、アニメとしてのμ'sの最後のライブだよっていう解釈として見ることにした
SUNNY DAY SONGはスクールアイドルのための曲だけど、僕たちはひとつの光はμ'sのための曲で9人で歌いたい、という真姫ちゃんの考えに寄れば、SDSはアニメのμ'sは終わりだけどこれからも前進していこう、僕光はアニメを応援してくれた視聴者への最後のメッセージ
こんな感じで納得できるようになった
こんなんね、泣くしかないでしょ
ありがとうとしか言えないし、くどいようだけどこれからもμ'sを応援していきたいなって思った
ただね、何度でも言うようだけどスタッフロールのあとに何も無く終わりっていうのは、纏め方や締め方としては綺麗過ぎるくらいだけど、同時にあまりにも寂しすぎるんだよ
あのあとにμ'sの誰かしらかの後日談みたいな情景があれば救いはあるんだけど、μ'sというグループが無くなっただけでなく9人そのものも消えてしまったみたいに思えて、考えるほど悲しくなって本当につらい
映画を1,2回観たあとに数日続いた虚無感の正体がこういうことなんだなって最近気付いた
という感じで、最初はただ風呂敷しっかり畳んで綺麗に終わらせた、良かったなんて思ってたけど、最終的には賛否両論のある終わり方だなーという考えに纏まった
9人が解散したあとはご想像にお任せしますというアレだと思うから良いとか悪いとかいうものではないけど、好き嫌いは出ると思う
また長文で書きたいことがあれば書くかもしれないけど、多分これで最後
ことりんぱなもっと浸透しろ(切実)
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